「広島のいまとむかし②」
知ると違う景色が見えてくる。国鉄宇品線をたどります。

日々刻々と姿を変える街並み。その中に残る歴史の痕跡をたどりながら、今の町の成り立ちに思いをはせる「広島のいまとむかし」。
前回は国鉄宇品線・宇品駅周辺をご紹介しました。今回は丹那駅から上大河駅周辺を訪れてみます。

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丹那駅周辺の今と昔
駅標のレプリカや
線路の遺構も

一時的に設置されていた下丹那駅を除くと、宇品駅の次は丹那駅になります。

※この地図は、時系列地形図閲覧サイト
「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。

左が1950年(昭和25年)の丹那駅周辺、右が2020年現在の同じ場所の地図です。丹那駅があったのは現在の県道86号線(黄金山通り)の広島南警察署前交差点付近です。戦時中は駅の西側にあった陸軍運輸部に向けて支線もあったそうですが、上記の地図では既に支線は確認できません。

近隣には工場や学校があるものの、通勤・通学以外での利用が少なかったこともあり、全線での旅客輸送終了の6年前、1966年(昭和41年)には今回紹介する区間を含む上大河駅~宇品駅間の旅客輸送は廃止され、同時に駅も廃止になりました。

海岸通り沿いの広島南警察署の向かい側にある丹那駅跡には、下丹那駅跡と同様に駅標のレプリカが設置されています。

また交差点の北東の角には線路と信号が残されています。ただし実際に宇品線が敷設されていた場所から移設されたもので、実際はもう少し西側を走っていました。宇品線の跡地はほぼ全線道路として整備されているため、遺構があっても元の場所から移されているものが大半です。

元駅の周辺には、線路の枕木を模したと思われるオブジェが並んでいます。

下大河駅周辺の今と昔 
歴史を伝えるポッポ広場

次の駅は下大河駅です。

※この地図は、時系列地形図閲覧サイト
「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。

左が1950年(昭和25年)の下大河駅周辺、右が2020年現在の同じ場所の地図です。現在は西旭町集会所および隣接する「ポッポ広場」として駅の痕跡を残しています。

単線の宇品線において唯一の行き違い駅であったため、戦時中の燃料不足で営業休止になる駅が多かった中、営業を続けることができました。営業が続いたもう一つの理由は、線路に隣接したある施設も関係しているのではないかと思います。

※この地図は、時系列地形図閲覧サイト
「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。

左は1928年(昭和3年)の地図です。現在の国道2号線は無く、線路を挟んで西側に「被服支廠」、東側に「兵器支廠」があります。「広島のいまとむかし①」でも触れましたが、宇品線は軍事専用線として始まった線路であり、沿線で生産した武器や物資を宇品港に運ぶことが戦時中の重要な役割でした。

下大河駅は被服支廠の最寄り駅であり、単なる旅客以外の役割を担っていたのではないでしょうか。

その被服支廠の跡地にある広島市内随一の規模の被爆建物「旧陸軍被服支廠跡」は、広島県が解体を発表して以来にわかに注目を集めています。

レンガ造りの偉容の建造物は、広島の街の歴史を刻み込んだ物言わぬ語り部でもありますが、近年は老朽化が進み耐震性に不安があることから近隣からは倒壊の危険性を心配する声もあります。

以下の写真は黄金山周辺から撮影した旧陸軍被服支廠跡です。市街地・住宅地に囲まれていることがよく分かります。

周辺で生活する人にとっては、日常の風景の一部であり続けた旧陸軍被服支廠跡。歴史は生活のすぐそばに息づいているのです。

上大河駅周辺の今と昔 
戦後に県庁が移転

今回の最後の駅は上大河駅です。

※この地図は、時系列地形図閲覧サイト
「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。

左が1950年(昭和25年)の上大河駅周辺、右が2020年現在の同じ場所の地図です。

下大河駅で紹介した1928年(昭和3年)の地図では「兵器支廠」となっていた箇所に二重丸の地図記号、県庁があります。

原爆投下により当時の県庁や官公庁の多くが焼失・倒壊したため、1946年(昭和21年)から旧兵器支廠跡地へ移転し、1956年(昭和31年)に現在の基町庁舎に移転するまで「霞仮庁舎」として利用されていました。比治山の山影にあり原爆の爆風による被害が少なかったこと、旧兵器支廠があったことで広い国有地を借用できたことなどが移転の理由と考えられます。

官公庁も上八丁堀の合同庁舎ができる1960年(昭和35年)までこの場所を利用していました。現在でも税務大学校広島研修所や中国管区警察学校があります(税務大学校は昭和42年に霞から佐伯区楽々園に移転し、平成27年に再び霞に戻ってきました)。

官公庁の移転後は広島大学霞キャンパス及び医学部附属病院になり現在に至ります。上大河駅は現在のキャンパス正門の南側付近にありました。

これまで紹介してきた駅と違い遺構らしきものは残っていません。南北に伸びる直線の道路だけわずかながら鉄路の名残を残しています。

まばたきの間に
姿を変えてしまう街並み

最後に私の家に残っていた写真を数枚ご紹介します。

アルバムに書いている記録が確かなら1986年(昭和61年)、宇品線廃止の年の写真です。

1枚目は今回紹介した丹那駅の少し北、右側に映っている体育館と校舎は恐らく翠町小学校ではないかと思います

2枚目は恐らく上大河駅付近ではないかと思います。壁に沿ってホームの跡らしき痕跡が見られます。

宇品線の最晩年は貨物列車が宇品駅と東広島駅(現・広島貨物ターミナル駅)間を早朝に1往復しているのみで、途中駅の利用はこの時から14年前に終了していました。そのため駅も荒れ果ててしまっているのでしょう。

撮影したのは私の父なのですが、どこで撮影したか記憶が曖昧で、周囲の風景等から場所を類推した結果なので違う場所の可能性もあります。

街並みや風景はほんのまばたきするくらいの間に姿を変えていき、そこに何があったのかあっという間に忘れ去られてしまいます。92年にわたって走り続けた国鉄宇品線の痕跡も、ほんのまばたきをするくらいの間に無くなって、忘れられていきました。

旧陸軍被服支廠跡の建屋も永久に残すことは難しいでしょう。赤レンガの建屋が無くなった時、いつまで人々の記憶に残り続けることができるでしょうか。

※旧陸軍被服支廠跡の敷地内は許可なく立ち入ることはできません。また学校の敷地や住宅に隣接しており、周囲の道路は生活道路として利用されています。ご訪問される際には周辺の方のご迷惑にならないようご配慮をお願いします。また破損、崩落、倒壊の危険性があるため、建造物には触らないようにしてください。

今回紹介した場所
(GoogleMap)

※近隣にご訪問の際は、周囲の方への配慮をお願いいたします。

  • 路上駐車をしない(宇品波止場公園入口にコインパーキング有)
  • ゴミは放置せず持ち帰る
  • マスクの着用など感染症防止対策を行い、大人数での訪問を避ける
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