最初から100%でなくてもいい。できることを、もうちょっと。
福山東インターチェンジから30分ほど山を抜けて、さらに抜けてたどり着いた海が鞆の浦。港には石段の雁木や常夜灯など潮待ちの港として栄えた歴史が残され、石畳の路地には町屋が並び、360年の歴史を持つ保命酒を造る薬草の香りが漂います。そこには、ここに住む人たちの暮らしもひっそりと。今回の目的地は、非日常と日常が溶け合う鞆の浦の街角に暖簾をかける宿泊施設「NIPPONIA(ニッポニア) 鞆 港町」。この宿を運営するご夫婦、鳥井践さんと千晴さんに会ってきました。
一日、鞆の住民になって
滞在する



ガラスの引き戸を開けて中に入ると、広い土間に小上がりがあり、番頭さんが座っていそうな座卓。「ごめんください」という私の小さな声が響く静かな空間です。すぐに笑顔のお二人が出てきてくださいました。




こちらのホテルは全国に約30か所展開する「ニッポニア・ホテル」の一つで、町に点在する歴史建造物をリノベーションし、地域住民がおもてなしをして、より地域と近く・あたたかみのあるサービスを提供する「地域運営型」の宿泊施設。町の中に客室を点在させる「分散型宿泊」が特徴で、「鞆 港町」の客室は3か所あります。フロントのある「SEKI(関)」は、江戸時代には商家、明治時代には保命酒問屋として栄え、その趣を建物に残しています。



そして、元内閣総理大臣の宮澤喜一氏の別荘だった「ENOURA(江の浦)」。3つめは、医王寺への参道に中腹にある「MOTOMACHI(元町)」です。
鞆 港町のコンセプトは「1日、ともの住民になってもらう」。フロントから客室への移動は、地元のおじちゃんが案内。町の歴史を聞きながら、またおじちゃんの知り合いの人とあいさつを交わしながら、寄り道しなければ10分あれば移動できるところを30分ほどかけてゆっくりとお散歩します。
世界一周の旅で
たどり着いた、鞆の浦

家守としてホテルのマネージャーを務めるお二人が出会ったのは、イギリス留学中。その後は東京でハウスメーカーの現場監督として忙しく働いていた践さん、海外勤務や客室乗務員として国際線を飛んでいた千晴さんが結婚。海外志向の高い二人は、「出産して家を建てて…という想像できる未来は面白みがない」「やりたいことに挑戦したい」と約1年の準備期間を経て世界一周の旅へ出発しました。
出発したのは2018年の冬。オーストラリアから南米へと、イベントや夏を追いかけるように北上。アメリカ横断、ヨーロッパ、中東、アフリカを縦断、新型コロナ感染拡大のため緊急帰国。それでも約1年4か月で約40か国を巡りました。旅先ではできるだけ現地の人の家に泊まらせてもらい、そのお礼に日本食を振るまったそう。帰国後には二人でゲストハウスがしたい、衣食住にかかわる仕事がしたいという目標があったそうです。
地方で日本文化に磨きをかけて世界に発信することに興味を持っていた践さん。人と話すことが好きな千晴さん。次のキャリアを考えて情報収集をしていたとき、ニッポニア・ホテルのことを知ります。ウエブサイトにあった問い合わせ先に、何か仕事ありませんかとメッセージを送信。ちょうど鞆の浦に開発中の案件があり、こちらの家守となりました。「鞆の浦ってどこですか?と聞くくらい、知らない町でした」と笑います。

そんなお二人が、鞆の浦にやってきたのは2020年7月のこと。歴史文化を引き継ぐ町並み、穏やかな海、ゆっくりと流れる暮らしのじかんに触れ、「ここなら自分らしく、豊かな暮らしができそう」とひとめぼれ。長屋づくりでとなりと壁を共有するご近所さんとの距離の近さ、いってらっしゃいやおかえりを言い、姿をみかけないと心配してくれる人たち。濃密なご近所付き合いのある町の魅力を、多くの人に知ってほしいと強く感じたそうです。
夕食は鞆の町の飲食店へ


フロントから客室へのガイドを地元の方にお願いしたのは、まるで住民になったかのような感覚で鞆の滞在を楽しんでもらうことと、できるだけ地域の経済の活性化につなげるという思いから。ホテルに専用レストランを持たないのは、鞆の浦の飲食店を利用してもらうため。シーツのクリーニングも地元のクリーニング店に依頼し、トイレットペーパーもネットではなく地元のホームセンターで購入します。ベッドのシーツや部屋着は、備後デニムで知られる福山市の篠原テキスタイルのもの。地元経済を回す一助になればという思いによる選択です。
【篠原テキスタイルさんの記事はこちら】
こうした運営スタイルは、地域で知っている人に教えてもらい、できる人にお願いし、少しずつ形にしてきたそう。「できる範囲でできることをしています。最初から100%、完成していなくてもいいかなと思うんです。成長していく宿、少しずつ進化していきたい」と話します。
「鞆は6割が高齢者という高齢社会です。空き家が増え、人口も減少しています。町の外の方に鞆に滞在し、好きになってもらって知名度アップにつなげたい。最終的に移住者になってもらいたいんです」と践さん。今後は、移住者に住居を提供するために空き家改修にも取り掛かるそうです。
千晴さんのてまひま

「SEKI」でゆっくりしすぎて、日も暮れかけてきました。ほかの2か所の見学はあきらめかけていたのですが、「せっかくだから」と千晴さんが自家用車で案内してくれました。空間を贅沢に使った「ENOURA」、茶室のような静寂感が広がる「MOTOMACHI」を見せていただき大満足。さらに、「せっかくだから」と医王寺へ。「ここからの景色がとても好きなんです」。日が落ちる寸前、海や町の境界線があいまいになり、景色の色が溶け合う穏やかや景色が広がっていました。千晴さんの「せっかっくだから」という思いがもたらしてくれたじかんです。

「いいじかんに来れてよかった」とうれしそうな千晴さん。「やらない後悔よりもやったうえで後悔するほうがいいと考えています。人を幸せにするには、自分がやりたいことをやって幸せになることも大事だと思うんです」。
せっかくだから、もうちょっとだけ、そんな気持ちを暮らしに取り入れたら、これからの未来が少し変わりそう。そんな期待にわくわくした鞆じかんとなりました。
NIPPONIA 鞆 港町
住所 | 広島県福山市鞆町595 |
---|---|
TEL | 070-1458-7743 |
おすすめ記事
この記事が気に入ったら
こんな記事もいかがですか?